「リモートは便利だが、リアルで会うことが大事」8/26映画館どうしの繋がりから見る未来|松村厚/山崎紀子/吉田由利香
書籍「元町映画館ものがたり」刊行記念RYUSUKE HAMAGUCHI 2008-2010 Works PASSION/THE DEPTHSと題して8月21日より1週間に渡って開催した上映&トークセッション。
6日目は『THE DEPTHS』上映後、元町映画館初の製作配給作品『まっぱだか』をはじめとする宣伝を手がけ、次世代映画ショ-ケ-ス実行委員会委員長の松村厚さん、シネ・ヌーヴォ支配人の山崎紀子さん、京都みなみ会館館長の吉田由利香さんをお迎えし、「映画館どうしの繋がりから見る未来」と題して京阪神の連携の歴史や、「Save our local cinemas」プロジェクトが誕生するまでの経緯、そして1年経った今の状況などを語っていただいた。
■映画館主たちが共感、「映画館は人」を再認識する書籍
最初のご挨拶かたがた書籍の感想をお聞きすると、「元町映画館ものがたり」を早々に取り扱っていただいているシネ・ヌーヴォの山崎さんは
「読みながら泣きそうになったのが、元町映画館高橋さんのくだりで、ご自身の役割について語った最後の方が素晴らしい。スタッフみんながいい環境の中で働けるようにと尽力されていることがわかり、だからこそいい映画館なんだなとその魅力を感じました」と、映画館のマネジメントをする立場だからこそ、なおのこと共感できる点について言及。
京都みなみ会館の吉田さんは11周年を迎えた同館で登壇できることの感謝を伝えながら、
「元町映画館が誕生した2010年に私も京都みなみ会館で働き始めたので、この本は自分の映画館の歴史と共に、今まで仲良くしていただいていたけれどそこまで話してこなかったことが詰め込まれていて、本当に面白く読めたし、知れてよかったと思います」とご自身の歩みと重ねていただいた。
そしていち早くコメントを寄せてくださった松村さんは、
「自分も第七藝術劇場にいたので、それぞれの映画館で働いている人が映画館の個性や魅力を作るということが、如実に、見事に一冊の本になった素晴らしい本だなと思います。他の映画館でも書籍を作っておられますが、こんな立派な、普通に本屋さんに売っていたら買いたくなるような本はないなと。あとは、開館前の内覧会から11年経ったのかと感慨深く、『おめでとうございました』というか、頑張りましたね」と大先輩からの労いの言葉が贈られた。
■映画館で働くようになった理由は?
書籍ではベテラン勢で、支配人の林さんや映写スタッフの高橋さんが紆余曲折を経て元町映画館にたどり着いた半生が書かれているが、今日のゲストの皆さんはどういう経緯で映画館で働くようになったのだろうか。
シンプルに卒業後、今の映画館で働き始めたというのが山崎さん(シネ・ヌーヴォ)と吉田さん(京都みなみ会館)。山崎さんは大学時代の映画館アルバイトで卒業後も携わりたいとシネ・ヌーヴォに入り、もうすぐ20年を迎えるという。吉田さんは京都造形芸術大学(現京都芸術大学)の卒業直前に学校からの紹介で同館に面接を受け、2010年4月からRCSが運営から外れ、京都みなみ会館単独で運営するというタイミングで新入社員として入社した。
一方、松村さんは80年代前半に関西学院大学を卒業後、映画業界を目指したが関西でまだミニシアターが少なく、ワーナーやFOXなどの大手しか募集がなかったため、東京で映画に関係のある企業の営業を十数年経験。当時東京ではミニシアター全盛期だったので、映画を観続けるサラリーマン生活だった。90年代後半に大阪へ戻り、ビルのオーナーが経営していた時代の第七藝術劇場に入社。その後経営が悪化し映画館閉館を体験。その後再開したり、2ヶ月の休館を経て再開など閉まるかどうかを経験しているので、続けることの難しさを身をもって知ったという。2017年に同館を辞めた後はフリーの宣伝業を行なっているが、映画館時代につながりができた配給や監督などから仕事の依頼をいただくことが多く、「映画館は人となりだと思っている」と語った。
■京阪神のつながりには土壌があった。デジタル勉強会から発展して。
いよいよこの日の本題でもある京阪神のつながりについて、そのきっかけになったデジタル化問題について松村さんに詳しく話を聞くことに。
「フィルムからデジタルのDCPに変えるというデジタル化問題が10年ほど前にミニシアターの重大課題となり、当初は1500万円かかったそうです。どんな商品でもある程度すると価格が下がるので、問題事例を調べたり、先に導入したテアトル梅田やシネマート心斎橋に見学させてもらい、未導入だった京都みなみ会館さんや元町映画館さんに声をかけて集まったのが最初だったと思います」
「当時は東京の劇場の人や映写機業者の人が、関西の撮影場で、関西以西の劇場の人を集めて説明会をした後に交流会があり、徐々に松村さんや山崎さんとも個人的に声をかけるようになりました。デジタル化について話し合ううちに、今ある劇場で、みんなで監督を呼んで関西の舞台挨拶ツアーができるよねとか、関西共通チラシが作れるよねと、そういう方向に発展して今につながっている気がしますね」と吉田さんがそこからの発展を説明。
さらに松村さんは自身が先頭に立って動こうとしたきっかけは、業界に入った頃の体験にあるとし、90年代から00年代の大阪ミニシアター界の状況を説明。
「僕が映画の業界に入ったときは何もわからず心細かったのですが、少し上の世代の人たち、例えば今は映画業界から離れましたがRCSの佐藤英明さんやソフトシューズ、シネカノンの呉さんにもお世話になりましたし、元梅田ガーデンシネマの支配人で今も映画業界で活躍されている松本富士子さんにもたくさん教えてもらいました。元シネマアルゴにシネカノンがやっていた劇場があり、そこの石原支配人や、扇町ミュージアムスクエアなど、支配人たちが皆同世代で仲が良かったんです。シネカノンの小野さんが旗振り役になってスタンプラリーをしたり、連携して一つの映画からイベントごとをよくやっていて。ライバルではあるけれど、お互い助け合う土壌はあったと思います。ただシネカノンが撤退し、旗振り役がいなくなるとそれらはなくなってしまった。
京阪神の連携についてデジタル問題などを通して思ったのは、地方の方が興行が厳しく、危機感を覚えている映画館が多いということ。東京の劇場は初出し(初上映すること)なので連携がしにくいですが、地方は連携して助け合うことでリスクを減らすという方法が有効なのではないか」と、京阪神ミニシアター連携の土壌的なものが、ミニシアター全盛期の大阪で確かにあったことを明かした。
■悩みの共有から始まった「次世代映画ショーケース」とこれから
2021年初春に2回目となる「次世代映画ショーケース2021」を京都みなみ会館、元町映画館、出町座、シネ・ヌーヴォで週替わり巡回上映したが、そのきっかけとなったのは2019年に京都で行われたシンポジウムだった。山崎さんは、
「インディペンデント映画と呼ばれる本当にいい映画を集めて上映する画期的な企画とご紹介いただきましたが、元々はインディペンデント映画はいい作品なのに入らなさすぎて申し訳ないと。みんなで悩みを共有する形で『どうしたら入るのか』と考えたんです。興行となると1週間で20人というケースもあるし、作品数はどんどんあるし、それだと映画館は潰れてしまう。そこで上映を止めるのではなく違う形で見せるという形で立ち上げました。立命館大学の川村健一郎先生にも入っていただき助成金を受けながら形にしていきました。
次世代映画ショーケースという形にしたことで、4館でやっているということは認知してもらいつつありますが、作品単位で観てもらうまでには至っていないので今後注目していただきたいし、継続していかなければと思いますね。小さくでもいい作品がたくさんあるので発見する楽しみを味わってほしい。(小田香監督『鉱 ARAGANE』のように)次世代で上映した作品を前後にロードショーしたり、劇場ごとに関連づけてやれることも多いと思います」とその経緯が実は悩みから始まったこと、これからも続けていくことが大事と説明。
事務局の役割分担について吉田さんは、
「デザインは好きなので私がやっていますが、作品の交渉は山崎さんや林さんにお願いしたり、出町座の田中さんはインディペンデントをはじめすごい量の映画を観ているので、お勧めの作品を紹介していただいたり。松村さんは音頭を取って、『そろそろ集まらないと申請に間に合わないよ』と尻を叩いていただいています」と、忙しい仕事の中、連携して取り組むことの良さもにじませた。
■2020年の休館から今まで、コロナ禍で京都みなみ会館とシネ・ヌーヴォの状況は?
京阪神の連携が定着してきた中で起きた新型コロナウィルスによる客数激減&休館という未曾有の事態。吉田さんは当時のことを振り返り、
「2018年に旧劇場を閉館し、2019年8月に向かいの場所でリニューアルオープンしました。同じ屋号をつけていても器やスクリーン数、場所も若干違うし、一度閉館した後にお客さまがちゃんと戻ってくるかといえば、全然違ったんです。出町座さんやアップリンク京都さんもできるということで、一から常連さんを作っていこうと半年かけてようやくみなみ会館が再開して、オールナイトも再びやっていることを認知してもらえるようになり、再開後一番売り上げが良かったのは2021年1月でした。
これなら営業継続できると思った翌月にコロナで京都の大学からクラスターが出てしまい、ニュースで報じられた翌日お客さまが激減したんです。そこからは本当に苦しかったし、今もずっと継続しています。その頃は映画館の換気量に関してもまだ注目されていなかったので、一つの部屋に長時間入っている(映画館の)状況が密なのかどうなのか。来てくださいと言っていいのかどうなのかも分からなかったんです」
その頃、シネ・ヌーヴォで吉田さん、林さんが集まり、アメリカのメディアからオンラインで日本の映画館の女性支配人の話を聞くという取材があったそうで、
「当時アメリカはすでに映画館が閉まっており、映画業界への支援という話も上がっていたころで、日本はどうかと聞かれたのです。当時、音楽業界はもっと厳しい状態で、音楽業界がやっている試みを映画業界に持ってくることはできないかと考えていました。その取材から数日後、緊急事態宣言が発令されると知り、林さんと山崎さんに『Tシャツを作りませんか?』と提案したのです」
休館している間は励ましの言葉をたくさんいただき感激していたという吉田さん。営業再開してから8月ぐらいまでは比較的動員が持ち直したというが、秋になり第二波で感染者数が増加すると動員が減少、そのままなんとか繋いで今に至るという感じだという。
一方、山崎さんは
「2020年の1月2月は、ヌーヴォも成績が良かった。この調子でいけば赤字体質から脱出できるとウキウキするぐらいで、3月も最初は悪くなかったんです。でもある企画が終わった瞬間に激減し、林さんや吉田さんと話をしながらも、初めての体験なのでヤバイヤバイという感覚しかなかった。4月に入り、緊急事態宣言で2ヶ月休業しましたが、ヌーヴォは1回も休んだことがなくずっと営業していたので、私自身放心状態でした。家が近いので空気を通しに毎日行っていたのですが、お客さまがいない、人通りがない、映画がかからない映画館がこんなにも無意味な空間にしてしまうのかと本当に落ち込んで。
6月1日に再開したときは本当に嬉しかったです。吉田さんと同じく8月は良かったけれど、あとは落ちていって。緊急事態宣言が回を重ねる中、ミニシアターに対する保証がないことがわかったので、上映をやめることはできないと思い、今は早めに終わるようにしている感じです。
昨年の夏は緊急事態宣言が開けて、コロナが収束するのではないかという期待感からお客さまも戻ったと思うのですが、今年の夏はコロナ疲れで昨年よりも動員が悪いというのが今まさに感じていることです。Tシャツの売り上げや濱口監督、深田監督が立ち上げたミニシアター・エイドの支援金で昨年はなんとか乗り切れ、今年は文化庁の事業助成金(ARTS for the future!)が採択されたので、なんとかやっていけるという感じですね」と、昨年よりお客さまの方がコロナ疲れをしていることを指摘した。
■嬉しい悲鳴となった「Save our local cinemas」プロジェクトを語る
まずは書籍でも掲載しているSave our local cinemas」プロジェクトより、まずは原案を作った山崎さんに“「映画館が好きだ」と言ってくださるみなさまへ。”という文章から始まる声明文を朗読していただいてから、発案者でありTシャツのデザインから、スタッフと発送まで手がけた吉田さんに当時の状況をうかがった。
「音楽業界が先に支援Tシャツを売り出していたので、映画館に落とし込むことができると思い、関西の劇場共同で支援Tシャツを売り出せないかと原案と共に思いつきレベルでしたが山崎さんと林さんに送ったら『ええやん、ええやん!』と。映画館だから文字をスクリーンの上に置いて、客席は円でいいかとか。修正はフォントとかcinemaは複数にしようかぐらいの修正で、そこから林さんや山崎さんが映画監督らにコメントを募ってくれ、案を見せて3日後には販売していましたね。」
映画館が閉館する前にリリースしなければ!という思いがあったと山崎さん。
「参加劇場も神戸は林さん、大阪は私など地域で分担して一斉に声をかけ、みなさんとても早く返事をくださいました。劇場が開いているうちにと締め切りを設けたので、ロゴをいただいてそれを背中に入れました。援助してもらうことは必要だけれど、助けてと声を挙げないと(窮状が)分かってもらえないですから」
実際の反響について吉田さんは、
「劇場の皆が本当に焦っていて、何かしたいと思っていた時だったんじゃないかな。休館準備をしなくてはいけないのに、Tシャツの準備ばかりしていて、余計なことを考える時間もなかったです。声を挙げることが重要だったので、Tシャツ屋さんにも多くて200〜300枚とお伝えしていたのですが、蓋を開ければ1万3227枚の受注をいただきました。京都シネマ制服の印刷をされているという流れでお声掛けをしたTシャツ印刷の宮川社長は名カメラマン、宮川一夫さんのお孫さんで、まわりまわって映画業界に対して何かできるのは本当に嬉しいとおっしゃっていただきました。さすがに大量すぎて納期が間に合わないということで、購入いただいた皆さんにはお待たせすることになりましたが、嬉しい悲鳴でしたね」
■京阪神連携のこれからは?
最後に京阪神ミニシアターの今後についてご意見をうかがった。
「映画館が残っていくために考えていかなければいけない中で、豊岡劇場さんが映画館のサブスクを始められたのは本当に勇気があることだと思っています。これだけ電子決済が進む中、ほとんどの劇場は現金決済のままですし、これからどうやってお客さまと寄り添っていけるのかをこれからも意見交流させてもらえればと思います。最近はオンラインが多いですが、今日は久々にリアルでお会いできて嬉しかったです」(吉田)
「今はリモートの取材や舞台挨拶が増えて便利ではありますが、リアルで監督取材すると色々な余分な話ができるじゃないですか。リモートだと深いつながりができないし、なんか寂しいなと思いますね。サブスクもしかりですが、配信と映画館で共存するにはどうすればいいか。私がこの業界に入った時、レンタルビデオができてすごく脅威だったんです。当時はビデオ発売日を教えて『それでも(劇場で)やってもらえますか』と聞くぐらいでしたが、今は共存ができているじゃないですか。
だから今後必ず映画館は残るべきものだし、なくなると寂しすぎる。その辺りでコロナが収束してきたら次世代映画ショーケースに続くイベントごとが出てくると思います。オムニバス映画『きょう、映画館に行かない?』も小田香監督が映画を観に来た帰りにご飯に行って話が出たことから生まれた企画ですから」(松村)
最後にトークを聞いていた林さんが舞台袖から日頃連携している3人を前に、
「連携どころか、日々の愚痴なんかをいつも投げかけて反応してもらっていることに本当に救われています。自分の務めている映画館でずっと仕事をして煮詰まってくることがすごくあるけれど、しょうもないこと、仕事に関することを話す中で風通しが良くなったり、発見することがあるので、気軽にプライベートなことでも連絡できるような関係になれたことがすごく嬉しいと思っています。連携企画ははるかに大変なので、次世代映画ショーケースのような今やっていることに対し、みなさんに注目してもらえると嬉しいです。
これからも連携をしていきたいですし、関西ならではの魅力をもっとみなさんに知ってもらえる機会を作ればいいなと思っています」
締めの言葉として松村さんは、
「濱口監督の作品を私が第七藝術劇場時代にレトロスペクティブとして関西数館で連携上映したのですが、それで濱口監督と私がつながり、『ハッピーアワー』にも出演させていただき、元町映画館で毎年上映されている。それら全てが人のつながりで、『元町映画館ものがたり』に書かれていますので、ぜひ購入していただければと思います」と結び、京阪神のつながりをテーマに、その歴史から昨年の休館、そして現在、未来へを語る濃密なトークを終了した。
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