「自分で答えを見つけてほしい」『三度目の、正直』野原位監督、川村りらさんインタビュー前編


 『ハッピーアワー』から7年、同作の共同脚本を務めた野原位監督が主演の川村りらと企画を立ち上げ、全編神戸ロケで挑んだ長編劇場デビュー作『三度目の、正直』。1月の東京公開を経て、いよいよ地元の神戸・元町映画館で3月12日(土)から3週間上映される。(大阪・シネ・ヌーヴォは4月2日より、京都・出町座は4月8日より公開)。

 『ハッピーアワー』のキャスト、スタッフが再集結しただけでなく、神戸出身の孤高のラッパー、小林勝行がラッパー役で初演技を披露。川村りらも野原監督と共同脚本を務め、子どもが産めなかった40代女性と、子育てと夫の世話に忙殺される30代女性、それぞれの葛藤を印象的なセリフを交えながらリアルに描写。様々な視点から味わえる、私たちの物語が誕生した。

 元町映画館10周年記念オムニバス映画『きょう、映画館に行かない?』で「すずめの涙」を出品したことも記憶に新しい野原位監督と共同脚本、主演の川村りらさんにお話をうかがった。前編は、映画の世界に入ったきっかけや『ハッピーアワー』から本作に至った経緯を中心にお届けしたい。




■エルンスト・ルビッチのスクリューボール・コメディに憧れて(野原)

―――1月の東京公開からはじまり、3月12日から、いよいよ地元神戸での公開となりますね。一度観ただけでは受け止めきれないぐらい、観れば観るほど発見があり、登場人物たちが愛おしくなってきます。特に神戸の方なら、「ここはみなとの森公園あたりだ」とか、元町映画館から線路を越えた北側エリアで走って逃げるシーンが撮られたんだなとか土地勘もあるし、JR、山陽電車、ポートライナーと生活の足も度々登場し、より物語の中で生きる人物たちが自分たちと地続きのように感じられます。

映画のお話を伺う前に、そもそも映画に興味を持ったきっかけや、お二人が出会った『ハッピーアワー』に至るまでのキャリアを教えていただけますか。

野原:子どもの頃から映画鑑賞が好きで、レンタルビデオで借りたり、テレビでオンエアされる映画を観ていました。大学は理工学部で、3年生になって就職活動が迫った時期に、最後の思い出という気持ちもあり、映画制作を学ぼうとENBUゼミナールの夜間コースに通いはじめ、古厩智之監督に担当していただきました。その時同じコースに入っていたのが、当時経済番組のADをしていた濱口竜介さんでした。日頃は忙しくて来ておられなかったけれど、提出課題や卒業制作のときに濱口さんの作品を手伝わせてもらったんです。濱口さんの短編『はじまり』のときは車止めで参加したんですが、出来上がった作品を見て、自主映画でも商業映画に負けないくらい面白いものができるんだという感覚が自分の中に芽生えました。それが、もう少し映画をがんばってみようと思うきっかけになり、そこからは自主映画制作にどっぷりはまっていきましたね。


―――映画を学び始めた時、すでに濱口さんと出会っていたんですね。ちなみに影響を受けた監督は?

野原:黒沢清さんや濱口さんの影響を大きく受けているのはもちろんですが、クラシックの中では、ドイツ人で、ハリウッドに渡ってからも多くの映画を撮っているエルンスト・ルビッチですね。ルビッチの作るスクリューボール・コメディが好きで、こんなコメディを作れたらという憧れがありますが、コメディを作るのはある意味一番難しいと思っています。

今回は恐れ多いですが、ジョン・カサヴェテスが頭の片隅にありましたし、ヌーヴェルヴァーグの中だとジャック・リヴェットも好きです。アメリカだとジョン・カーペンターやトニー・スコットも刺激を受けました。



■東京大学映画研究会の思い出(川村)

―――川村さんも大学時代に映画制作との出会いがあったのですか?

川村:私は小学生のころ、両親が8ミリのホームビデオカメラを買ってくれたのがきっかけで、ひたすら家族を撮っていたこともあり、昔から映像を観るのも撮るのも好きでした。大学に入った頃から映像制作をしたいという願望がむくむくと芽生えたのですが、私が入学した美大にはビデオで映画を撮るクラブしかなかった。ビデオは味気ないと思っていたら、ちょうど入学式のころだったので東京大学の映画研究会が勧誘に来ていて「フィルムで映画が撮れます」が謳い文句だったので入部しました。東大映研は2年制だったので入れ違いにはなりましたが、すぐ後に濱口さんやプロデューサーの高田聡さんも入部されていて、在籍時の副部長は船橋淳さんでした。


―――今、活躍されている錚々たる映画人ばかりですね。濱口さんの先輩だったとは!

川村:いえいえ、全然活動時期が被っていないですし、今回初めて明かしたぐらい在籍中に撮った作品は悲惨なものでした。ちょうどデジタルビデオに切り替わるタイミングだったので、アルバイトしたお金を全てつぎ込み、ビクターの50万弱する機材を買い、3、4年生の頃はデジタル撮影して、自分なりに編集を楽しんでいました。ただ卒業後は就職しましたし、結婚も出産も早かったので、子育てはクリエイティブだったけれど、映画制作からは遠のいてしまった。時は流れ、30代半ば、東日本大震災以降に自分がこのままでいいのかと思い悩んだ時期があり、息子が独り立ちしそうになると空の巣症候群にもなったりと、悩んだ末に応募したのが『ハッピーアワー』のワークショップだったんです。


■ワークショップで何かを変えたかった(川村)

―――『ハッピーアワー』に続き、本作でも息子の知さんと共演されていますが、当時ワークショップに一緒に参加したのですか?

川村:私は当時シナリオの学校で脚本のことを学んでいたこともあり、ワークショップに参加したのですが、息子は参加していません。濱口さんが登壇されるさがの聴覚障害者映像祭を観に行った時、後で息子と合流したんですけど、そこで濱口さんと出会うことになり、気に入っていただいたのが出演につながりました。


―――スカウトされたんですね。最初から知さんは出演に前向きだったんですか?

川村:あの時はさほど前向きではなかったけれど、自宅(桜子の家として使用された)で撮影するなら移動も少ないしいいかと。わたしは他にも映画で使う料理を作ったりしました。


―――自宅がロケ地になるとは相当大変でしたね。製作スタッフも兼ねる働きをされ、映画づくりにがっつりと関わり、大きな人生の転機になったのでは?

川村:ワークショップに参加したのが全てでしたね。当時は電車すら乗らない生活をしていたので、何かを変えなくてはという気持ちが強かったです。



■初関西の神戸は「すごく住みやすかった」(野原)

―――なるほど。野原さんは、『ハッピーアワー』のために会社を辞めて、神戸に移ってこられたそうですね。

野原: 2012年の冬、東北でドキュメンタリーを撮影していた濱口さんを訪ねて行った時に、ワークショップの構想を聞かせてくれました。ちょうど東日本大震災を体験して、自分の中で思い悩むことがあり、会社を辞めようと思っていた時期だったので、先のことは何も考えずに一度東京を離れるのもいいのではないかと。関西は初めてだったので、テレビでしか見たことのない関西のノリについていけるのかと不安を抱えながら、2013年の5月に濱口さんと脚本家の高橋知由さんと神戸で一つ屋根の下で暮らし始めました。でも住んでみると周りの方々があたたかく受けていれてくださり、その優しさに触れてすごく住みやすいなと感じ、映画が終わっても神戸に残ってしまいましたね。


―――野原さんにとって『ハッピーアワー』は、住む場所を変え、キャストとの間にできた信頼関係や独自の映画づくりなど、継承していきたいものができた作品とも言えますね。

野原:この作品も『ハッピーアワー』のキャストやスタッフが多く携わってくれましたが、映画制作に関してどこか共通の認識があるように思いますよね。だから一般的な商業映画のようなことにはならなかったんだと思います。


―――年末の濱口さんと林さんとの対談(【2021−2022濱口竜介監督×林支配人対談後編】『三度目の、正直』のすごさと、映画館のあるべき姿を描くために必要なこと)で、濱口さんからはもう一度『ハッピーアワー』のような映画の作り方をすることへの敬意を語っておられましたが、実際にそれをやることは勇気が要ったのでは?

野原:ものすごく大変ではありますが、その分いいものがカメラに映っているので、一度はやってみたかったというのはあります。そして、もう一度『ハッピーアワー』のみなさんと映画を作りたいという気持ちもあったと思います。最初から川村さんと企画を考えていましたが、立ち上げては流れ、キャスティングまでいって流れたこともある中、2018年にプロデューサーの高田さんに入ってもらい、3人で考えていきました。少人数だからこそ、時間をかけて取り組めたのかもしれませんね。


―――この作品では30代、40代の女性たちが自身のパートナーとの関係だけでなく、出産できなかった女性の子どもを育てたいという強い想いも描かれます。女性同士でも考え方や状況の違いからなかなか話題にしにくいテーマへ果敢に挑んでいますね。

野原:30〜40代の世代は親から直接的に言われたり、圧力を感じて苦しんでいる方もたくさんいると思います。この作品はそういう部分とリンクするかもしれないですね。



■『ハッピーアワー』の先にあるものをやりたかった(野原)

―――川村さんが演じた春は、自分は産めなかったけれど子育てを諦めたくない気持ちがあるし、出村さんが演じた美香子は子どもがいるけれど家族のために時間を取られ、必ずしも幸せとは言い難い。状況の違うふたりを中心に紡がれる物語は、ある意味『ハッピーアワー』の先にある生々しい領域に踏み込んだ感があります。

野原:『ハッピーアワー』の後に、そのキャストやスタッフたちと映画を撮るとき、『ハッピーアワー』と似たようなものにはならないように、その先にあるものを描けたらいいなと思っていました。『ハッピーアワー』は夫婦のことが中心でしたが、その先には家族や子どもがいるので、その辺りを描きたいという想いはありました。

川村:『ハッピーアワー』から7年が経ち、世の中がより一層窮屈になっている感じが、映画にもそのまま映っている気がしますね。


―――川村さんが演じた春は、本当に自分がこうと思ったことに対して一切揺るがない強さがあり、羨ましいぐらいでした。ご自身と重なる部分はありますか?

川村:自分では重なる部分があるかどうかはわからないけれど、脚本を書いている間は「これでいいんだ」と思って書いてました。

野原:とても強い女性で、どんなことがあってもひとりで立ち向かっていけるような感じがすごいですね。

川村:そのようにわたしが生きているかどうかは別ですが、春のような女性がいるなら、こうあってほしいという願いは入っています。とにかく、自分で答えを見つけてほしいんです。

野原:最初にパートナーの宗一朗と別れますが、彼女が自分の答えを見つけるまでに新たな男性と巡り合うという展開はあまり考えられませんでした。誰かいい人と出会うことだけが春の解決にならないと思うし、彼女自身がどう解決するのかを、この映画の最後で見届けたかったですね。



■男のダメな部分もあっていいと思うし、否定しなくていい(野原)

―――自身の想いは譲らないけれど、一方で他人の弱さを「しゃあない」と許す寛容さが、春の魅力だなと思いながら観ていました。だって、本作で登場する男たちは、みんなダメダメじゃないですか(笑)

野原:僕が監督する作品で、あまり強い男は描きたくないんですよね。昔の日本映画はダメな男だらけだったと思うんです。小津安二郎にしろ、成瀬巳喜男にしろ、みんな男はダメな人ばかりだったはずなのに、いつからか男が強さを求められるようになってしまった気がします。僕は男のダメな部分もあっていいと思うし、否定しなくていいと思うんです。宗一朗は医者ですが、医者としては間違っていると言われる行動をとります。でも最後には反省して、また生き直そうと思うわけです。

 美香子の夫、毅も自分のラップのことを妻に手伝ってもらっています。妻への優しさもあるけれど、どうしてもズレが生じてしまい、最後にはある結末に辿り着くけれど、それによって彼自身も成長するのではないかと思うんです。東京や千葉での舞台挨拶で、男性の観客からよく言われたのが「いやあ、苦しいですね…」と(笑)


川村:それに対してわたしが「そこまで思い悩まれているなら、全然大丈夫だと思いますよ」と安心してほしくて自分なりに言葉を選んで答えたものの、結局上から目線になってしまった気がして「何かすいません!」と謝ったこともありました(笑)


野原:柏のアットホームな劇場でしたが、ありがたいことに元町映画館で『ハッピーアワー』を観てくださって、柏で『三度目の、正直』をご覧になったという観客の方がいました。しかもそういう方が3人ぐらいいらっしゃって、嬉しいというかご縁を感じました。ともあれ、男性が観て苦しくなる部分があるんですね。女性はパートナーに対して長年不満を蓄積していくけれど、男性はその場で対処しようとしてしまうので、その場の最大限の優しさも「それじゃない」と突き返されてしまう。そういう部分も映画で表現できたのではないかと思っています。